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◆ 「中国に告ぐ」 & 「韓国に告ぐ」 [◇ 平和安全法 (安保法)]

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中国に告ぐ靖国神社に戦犯は祀られていない
韓国に告ぐ枢軸国だった歴史を直視せよ

2018.01.03
(www.sankei.com/premium/news/180103/prm1801030006-n1.html )

終戦の日を迎え雨の中、夕方になっても多くの参拝者が靖国神社を訪れた=8月15日、東京都千代田区(桐山弘太撮影)
終戦の日を迎え雨の中夕方になっても多くの参拝者が靖国神社を訪れた
=平成29年8月15
東京都千代田区桐山弘太撮影




長崎県の端島(通称・軍艦島)炭鉱を舞台にした
韓国映画軍艦島を筆者は観ていないが、
鑑賞した学識経験者にストーリーを聞いて驚き、次いで腹を抱えた。


映画では、韓国光復軍所属の要員が、
独立運動の主要人物を救うため端島に潜入する、のだそうだ。

韓国光復軍
歴史の表舞台で、輝かしく祭り上げようとする創造力は
痛々しい限り。

でも、超ムリ筋だ。

理由は後述するが、ストーリーは次の様に展開する。


2017年8月21日に掲載した
野口裕之の軍事情勢を再掲載しています



軍艦島では
強制連行された男たちが牢獄のような宿舎に詰め込まれ、
貧しい食事と暴力を受けながら重労働を強いられる。

事故が起きると、他の坑道を守るべく出口がふさがれ、
朝鮮人労働者は見殺しにされる。

家族連れの場合、女性・女児は遊郭で働かされる。

無数の五寸釘が突き出た戸板に転がされ、死んでいく女性も出て来る…


もう無茶苦茶&デタラメのオンパレードだ

けれども映画ならウソ八百が許されると考えては現実を見誤る



韓国側
ユネスコ(国連教育科学文化機関)大使らを対象に上映会を開くなど、
映画を対日プロパガンダに利用し、
ナチス・ドイツによる《ユダヤ人大虐殺=ホロコースト》と
二重写しにする悪意満載の「反日印象付け映画」に仕上げている。


これも後述するが、
大日本帝國
永世中立国スイスも見捨てたユダヤ人を、
同盟国ドイツと対立して尚保護した

保護を断行した人物の中には、
日本映画でさえ蛇蝎の如く描かれる
東條英機・陸軍大将
首相/1884~1948年もいた




まずは、映画に登場する韓国光復軍が、
いかに活躍できなかったかの哀史より入る。


韓国光復軍は 1940年、
中華民国=国民党政権の臨時首都・重慶にあった
朝鮮独立を目指す亡命政府もどき
韓国臨時政府の武装組織


ところが、動員計画は遅れ、創軍1年目の兵力は 300人。

米CIA(中央情報局)の前身で
抵抗活動を支援するOSS(戦略諜報局)の協力の下、
朝鮮半島内で潜入破壊活動を考えたが、日本降伏が先になった。


臨時政府自体、
能力的欠陥などが問題視され
連合・枢軸国双方が承認を拒んだ


韓国光復軍は韓国の教科書にも載るが、
2013年の韓国光復軍創立 73周年、
韓国メディアは光復軍について講釈した。

《英軍と連合して
1944年のインパール戦闘をはじめ、
1945年 7月までミャンマー(ビルマ)各地で
対日作戦を遂行した》



枢軸国・韓国の連合国なりすまし


韓国光復軍
英軍と連合できる
規模も能力も地位も有していなかった
が、
なぜ歴史の粉飾・ねつ造に耽るのだろうか


朝鮮民族は、
大東亜戦争(1941~45年)中から今に至るまで
連合国を気取ってきたが、
近代に入り
日本と朝鮮は本格的に戈を交えてはおらぬ

戦前~戦中~戦後と、
まともな対日ゲリラ抗戦も
民族蜂起も
起きていない


むしろ1910年に併合された朝鮮
枢軸国・大日本帝國として戦った

国際法上も実態上も断じて連合国ではない


初代大統領・李承晩(1875~1965年)は
長崎県・対馬の「返還」要求と抱き合わせで、領土も画定する
「サンフランシスコ講和条約署名国の資格がある」と
1949年、米国に訴えた。

戦勝国=連合国入りさせろ-とゴネたのだ。


駐韓米大使は米政府に口添えした。

ワケがある。

韓国は
在日朝鮮人の連合国民扱い=賠償を求めるなど、
国際の法・常識を無視する数多の無理難題を吹っ掛けたが、
日本は無論、米国もほぼのめぬ内容だった。

米国は無理難題を押さえ込むべく、
韓国の署名要求を預かり、
条約草案で一旦は締結国リストに加えた。

しかし、
韓国は日本と戦っていないと英国が異を唱え、
朝鮮戦争(1950~53年休戦)を共に戦っていた米国も
英国にならう。


米国は
《連合国共同宣言》への署名(1942年)がないとも指摘したが、
韓国は執拗に食い下がった。

共同宣言参加国は最終的に 47カ国。

全物的・人的資源を対枢軸国用戦力に充てる方針に同意していた。

間の悪いことに、
フィリピン独立準備政府や多くの亡命政府も参加していた上、
連合国(United Nations)なる用語が宣言で正式採用された。


交渉過程で韓国は、
日本の講和条約締結を終始妨害し、
島根県・竹島の韓国編入すら主張した。

結局、韓国が得たのは
在朝鮮半島の日本資産移管のみ。

講和会議へのオブザーバー参加も拒絶された。


日本だった朝鮮は、
欧州列強の植民地兵のごとく人間の盾にされもせず、
日本軍将兵として戦った

朝鮮人の軍人・軍属は 24万 2000以上。

朝鮮人高級軍人の目覚ましい武勇に触発され、
志願兵の競争率は 62倍強に沸騰した。

2万1000柱の朝鮮人英霊が靖国神社に祀られる



戦後も米国は、朝鮮国家でなく日本だったと公認

日本の統治権を取り上げ
直接軍政を敷き、
韓国光復軍も武装解除した。

米国は 38度線以北に陣取るソ連軍をにらみ
(1)統治能力欠如
(2)度し難い自己主張や激高しやすい民族性
(3)偏狭な民族主義や共産主義の跋扈…
など、信頼性を欠く韓国に国家たる権能を与えたくなかったのだ。

実際、
「臨時政府主席」の金九(1876~1949年)は
個人資格で “帰国” した。


韓国
「日帝を打ち負かして独立を勝ち取った」のではない。

終戦 3年後、
半島で統一国家建設をたくらむソ連に対抗した
対日戦勝国・米国が
韓国への長期信託統治を断念。

米国に独立を大きく前倒ししてもらった棚ぼた式だった


金九も自伝で憂いた。

《心配だったのは
(大東亜)戦争で何の役割も果たしておらず、
将来の国際関係において発言権が弱くなること》



対日復讐裁判でもでっち上げに失敗した人道に対する罪


続いて、冒頭述べた、
ナチス・ドイツの蛮行《ユダヤ人大虐殺=ホロコースト》を
大日本帝國に被せる、呆れた手口に反論する。


本題に入る前に、
ホロコーストと一体で論考される
人道に対する罪から説明したい。


戦後 72年の終戦の日(15日)、
安倍晋三首相は靖国神社に参拝せず、
自民党総裁特別補佐を名代に、
同党総裁名義の玉串料奉納で済ませたが、
中国外務省報道官は案の定噛み付いた。

「靖国神社は侵略戦争に直接的責任があるA級戦犯を祀っている」

「日本側の誤ったやり方に断固反対する」


中国共産党は、
自らに都合のよい「猟奇的な日本の近代史」をねつ造し、
世界中でタレ流すが、
毎回反論せねばならぬ。


中国大使のイスラエル紙寄稿(2014年 1月)も然り。

いわく-

《安倍晋三首相や閣僚が、
アジアの(ドイツ指導者アドルフ)ヒトラー(1889~1945年)である
東條英機・陸軍大将らA級戦犯を祀る靖国神社を参拝している》


国家に殉じた英霊に感謝し、お慰めする崇高な行いに、
外国の顔色をうかがう必要は全くない。

靖国神社への
玉串料奉納で済ませようが、参拝を行おうが、
言い掛かりを付けてくる中国への回答は
靖国神社参拝以外にあり得ない。


一方、ユダヤ系団体
サイモン・ウィーゼンタール・センター(本部・米国)の
非難声明(2013年 12月)には、憤るより失望した。

いわく-

《亡くなった人を悼む権利は万人のもの。
だが、戦争犯罪や人道に対する罪を
実行するよう命じたり、行ったりした人々を
一緒にしてはならない》


失望理由の一つは、
ホロコーストの記録保存や
反ユダヤ主義監視を行い、
国際的影響力を持つ組織なのに
正確な国際法制史を学んでいない?点だ。


《人道に対する罪を
実行するよう命じたり、行ったりした人々》は
靖国神社にお祀りされていない。


《人道に対する罪》は
第二次世界大戦(1939~45年)におけるドイツ降伏後、
ドイツ人を裁くため
1945年 8月 8日、
ニュルンベルク裁判の基本法・国際軍事裁判所憲章で
初めて規定。

(a)平和に対する罪
(b)殺人と通例の戦争犯罪
(c)人道に対する罪
-が、国際軍事裁判所で所管する《犯罪》とされた。


日本人を裁いた極東国際軍事裁判所条例でも、
憲章にならいおのおの、いわゆる《ABC級犯罪》が定められた。

が、《人道に対する罪》は適用できなかった。

勝者による敗者への復讐劇ともいわれる極東国際軍事裁判で、
「ドイツが行った特定民族絶滅と同じ意図を、日本が抱いていた」
と、連合国はでっち上げようとしたが、
不可能だったのだ。


この点、ニュルンベルク裁判では、
22被告の内16人が《人道に対する罪》で有罪になる。

サイモン・ウィーゼンタール・センターは
日独を同一視しているのではないか。


そもそも人道平和に対する罪は、
米国が 1944年秋から1年に満たない短期で創り上げ
憲章制定前にはない

戦争開始・遂行を犯罪とする《平和に対する罪》に至っては、
米国/英国/中華民国が
降伏を求め日本に突き付けたポツダム宣言(1945年 7月)時点で、
犯罪とされていなかった。

二罪とも慣習国際法として確立していなかったのだった。


欧州大陸法系近代刑法は、
実行時の合法行為を
事後に定めた法令で遡り処罰することを
禁ずる。

《事後法の禁止=法の不遡及》である。


極東国際軍事裁判所設立は、
裁判 9カ月以上前のポツダム宣言でうたった
《俘虜を虐待せる者を含む戦争犯罪人には厳重なる処罰を加へらるべし》
が根拠。

仮に罪を問うのならB級の《殺人と通例の戦争犯罪》だけなはず。

現に、日本のサヨクが中国共産党と連動して
「大日本帝國陸軍が中国人民を大量虐殺した」
とねつ造・粉飾をやめない、いわゆる《南京事件》について、
南京攻略戦司令官を
C級の《人道に対する罪》ではなく
A級の《平和に対する罪》で起訴。

しかも無罪となり、B級で有罪となった。


ユダヤ難民を助けた東條英機


いわゆる《戦犯》自体も誤認している。

1952年のサンフランシスコ講和条約発効を受け、
日本は主権回復し
《各級死亡戦犯》を《公務死》と認定した。

条約では、
裁判を牛耳った11カ国の過半数の同意を得られれば
《戦犯》を赦免できると規定。

外国の異論もなく、1958年までに全員釈放となった。

既述したが、もともと “C級戦犯” は存在せず、
“AB級戦犯” も靖国神社にお祀りされていないということ。



連合国は《人道に対する罪》を問えなかった、どころではない。

大日本帝國は、
迫害を逃れた万人レベルのユダヤ人を世界中で助け続けた。


例えば-

1935年にドイツ施政下のユダヤ人は
公民権を奪われ難民となり外国に逃れた。

一説に数千人のユダヤ人が
1938年、シベリア鉄道で滿洲國近くのソ連にたどり着く。

ソ連に入国拒否された難民は
滿洲國入りを切望したが、滿洲國も拒む。


滿洲國防衛を担う帝國陸軍・關東軍の
樋口季一郎・少将(後に中将/1888~1970年)は、
吹雪の中に立ち尽くす難民を見かね
食料・衣類・燃料や加療を施した。

さらに、滿洲國外務省や南滿洲鉄道(滿鉄)を説き、
滿洲や上海租界への移動を周旋した。


日独防共協定(1936年)を結び、
日独伊三国同盟(1940年)まで視野に入れていたドイツは
断固抗議。

抗議を受け、樋口は關東軍参謀長時代の東條英機・中将に呼ばれる。

樋口は東條に
「ヒトラーのお先棒を担ぎ弱い者いじめをすることが
正しいと思われますか」
と質し、東條も受容した。


ユダヤ難民移動を担った滿鉄の総裁が、
後に外相となり三国同盟に傾斜する
松岡洋右(A級戦犯被告。未決中に病死/1880~1946年)だった
歴史の一コマも興味深い。



ユダヤ難民への入国ビザ発給国は著しく限られた。

かかる状況下の 1939年以降、
英米列強と日本が管轄する上海外国人居留地=共同租界の
帝國海軍陸戦隊警備区も、
ユダヤ神学生 300人や 
1万 8000人ものユダヤ難民の
ビザ無し入境を許している。



ユダヤ難民の扱いでは、永世中立国スイスでさえ暗部を抱える。

スイスはドイツとともに 1938年、
ユダヤ人旅券にユダヤの頭文字《J》のスタンプ押印を義務付けた。

キリスト教文化の根付くスイスには
19世紀半ば以来、反ユダヤ主義が認められる。

そこに、
労働市場を難民に奪われる懸念や
ドイツの侵攻を恐れる
スイス政府の意向が加わった。

1942年には、ユダヤ人を念頭に
難民の国境引き離し政策を実施。

多くのユダヤ人がスイス入国を果たせなかったが、
出発地への帰還は死を意味した。



大日本帝國にとって、
人種差別も後押しした米国の対日強硬策を、
ユダヤ人を通し打開する工作の一面もあったろう。

ただ、“A級戦犯” の汚名を着せられ絞首刑となった
東條はじめ日本の軍人が、
同盟国ドイツを含む欧米列強による蔑みに悲憤し、
ユダヤ人の痛みに情けをかけた心根は紛れもない。



靖国神社には、
かくも優しき武士(もののふ)たちが
お祀りされている。


中国と韓国の日本に向けられた想定外の憎悪に、
英霊もこんな調子で戸惑っておられよう。

「中国共産党軍は逃げてばかり。
ロクに戦いもせず逃げ回っていたはずだが…」

「朝鮮の人は共に戦った同胞。
戦後、一旦帰国し、再び来日した人も
おびただしい数にのぼると聞いた。
なのになぜ、戦後随分たって反日に急変したのか…」



72回目の「終戦の日」を迎えた靖国神社で黙とうする多くの参拝客=8月15日午前、東京都千代田区・靖国神社(納冨康撮影)
72回目の終戦の日を迎えた靖国神社で黙とうする多くの参拝客
=平成29年8月15日午前
東京都千代田区・靖国神社納冨康撮影




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